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東京地方裁判所 昭和60年(ワ)3777号 判決

原告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 設楽達雄

被告 乙山春夫

右訴訟代理人弁護士 森谷和馬

主文

一  被告は、原告に対し、七八二六万六三八八円及びこれに対する昭和六〇年四月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその他の請求を棄却する

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決の原告勝訴部分は、仮に執行することができる。

事実

第一原告の求めた裁判

一  被告は原告に対し、八〇九九万二一八八円及びこれに対する昭和六〇年四月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  仮執行宣言

第二当事者の主張

一  原告の主張

1  原告の父は昭和四三年七月二一日死亡し、原告がその遺産を相続により承継した。

2  そして、原告はその後間もなく、相続税納付事務を故乙山松夫弁護士(以下適宜「松夫」ということがある。)に依頼した。原告が納付すべき相続税は、七五〇三万六四〇〇円と多額であったので、原告は相続した遺産の一部を売却して分納することとし、その一切の事務を同弁護士に委任した。被告は、同弁護士の長男であって、同人の指示で原告からの委任事務の処理を行っていた。

3  松夫は昭和五五年一月に死亡したが、被告の申入れにより、原告は引き続き被告との間で松夫との間におけると同様の委任関係を継続することにした。

4  松夫及び被告は、昭和四八年度分以降納付すべき相続税のほか、それまでに不動産を売却したことに関する譲渡所得税等を納付していなかった。

原告は、弁護士である松夫に全幅の信頼を置いていたので、昭和四八年以降も、被告から不動産売却に伴う所有権移転登記手続に必要であると言われるままに、印鑑証明書及び白紙の委任状を同人らに交付していた。

5  松夫及び被告(以下両名まとめて「被告ら」という。)は、次の金員(合計六九四二万〇七八八円)を、納税(相続税、譲渡所得税、住民税)に使うことなく、原告に引き渡すこともなく今日に至っている。被告らはこれを着服して横領したというべきである。

(一) 原告所有の土地を売却した代金 六三三三万九八九七円

(ア) 買主 山下三明等 五四二万四一〇七円

契約日 昭和四九年一二月八日

(イ) 買主 石田昭夫 二三四万三二二四円

契約日 昭和四九年一二月九日

(ウ) 買主 中西甲 二二三万八二九〇円

契約日 昭和四九年一二月九日

(エ) 買主 井村健治 二六七万一三五二円

契約日 昭和四九年一二月九日

(オ) 買主 梶田甚吉 二三五万〇一二四円

契約日 昭和四九年一二月九日

(カ) 買主 中村皓一 四八〇万円

契約日 昭和五二年四月九日

(キ) 買主 浜田誠一 二三九万七四〇〇円

契約日 昭和五四年一二月頃

(ク) 買主 松田スエ子 二七二万五八〇〇円

契約日 昭和五五年九月三〇日

(ケ) 買主 大野耕一 九〇六万円

契約日 昭和五五年九月二二日

(コ) 買主 大川進 二四九万六〇〇〇円

契約日 昭和五五年九月二二日

(サ) 買主 大野千賀子

(a) 一七八万三六〇〇円

契約日 昭和五五年九月二二日

(b) 三〇〇万円

この対象の土地は、測量ミスの関係で、当初大野千賀子が買取りを拒否した土地であったが、いったん訴外浜田俊雄が買い取る形をとり、三〇〇万円を浜田から借り受けた。この三〇〇万円は本来原告に帰属すべきものである。なお、昭和五七年一月大野千賀子はこれを三〇〇万円で買い取った。

(シ) 買主 浜田俊雄 一四〇〇万円

契約日 昭和五六年四月二七日

(ス) 買主 大下昇 四〇五万円

契約日 昭和五五年一一月一七日

(セ) 買主 林田俊一 四〇〇万円

契約日 昭和五五年一一月一七日

(二) 東京都中央区日本橋蛎殻町二丁目所在土地の賃料・更新料 六〇八万〇八九一円

原告は、右土地を賃貸していたが、相続税納付のため、その地代徴収業務を松夫に委託していた。松夫及び被告は、これを納税に使うこともなく、原告に引き渡すこともなく、着服横領した。

(ア) 賃料 三七八万〇八九一円

借地人青木良太郎分 八六万三五八三円

同平本直吉分 一四一万七九四八円

同中山弥吉分 八五万〇七六〇円

同酒井芳三分 六四万八六〇〇円

合計 三七八万〇八九一円

(イ) 更新料 二三〇万円

被告らは、借地人中山弥吉から昭和五一年末及び昭和五二年の二回にわたって、借地期間の更新料として、合計二三〇万円を収受してこれを横領した。

6  差押え解除費用の出捐 二七二万五八〇〇円

前記5(一)の(ク)の土地売買に関して、被告は買主の松田スエ子に売買代金をもって同土地になされた大蔵省の差押えを解除することを約して売却したが、被告はこの代金を差押え解除に使用しないで、着服した。その後、原告は、同土地の新所有者から差押えが解除されていないことについて責任を追及され、税務署と交渉の上、昭和五六年四月三日二七二万五八〇〇円を自ら用意してこれを支払い、ようやく差押えの解除を得た。原告は、被告の横領行為により右の損害を被った。

7  和解金及び訴訟費用 八八四万五六〇〇円

被告は、昭和五五年六月三〇日、訴外東越興業株式会社(以下「東越興業」という。)から一七五〇万円を借り受ける際、この事情を秘し、原告に対しては大阪市大正区内の原告所有地について売買が成立したのでこれに基づく所有権移転登記が必要であると言って原告をだまし、原告から委任状と印鑑証明書を詐取し、原告が東京都中央区日本橋蛎殻町二丁目に所有する四筆の土地に原告を物上保証人とする抵当権設定登記をしてしまった。

後に、原告はこの登記の存在を知り、昭和五九年一月、東越興業を被告として抵当権設定登記の抹消を求めて東京地裁に提訴した。この訴訟は、同年一二月一八日和解が成立して終了したが、この和解において、原告は同会社に対し八七五万円を支払うことにより右登記の抹消をすることができた。

原告は、被告の右の背信行為により訴訟提起を余儀なくされた結果、右和解金八七五万円と訴訟費用九万五六〇〇円との合計八八四万五六〇〇円を支出し、同額の損害を受けた。

8  よって、原告は被告に対し、預り金である土地売買代金等六九四二万〇七八八円と損害金一一五七万一四〇〇円との合計額八〇九九万二一八八円、並びにこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六〇年四月一三日以降の年五分の割合による遅延損害金員の支払を求める。

二  被告の主張

1  (原告の主張に対する認否)

(一) 原告の主張1は認める。

(二) 同2のうち、被告が松夫の長男であること、松夫が原告の相続税の納付方について原告から委任を受けたこと、被告が同人の指示のもとに原告からの委任事務の処理に当たっていたことは、いずれも認める。松夫は、原告の父親が昭和四三年に死亡した後、その相続及び相続の手続について原告から依頼を受けたものであり、分割納付とすることも松夫が税務署との交渉の結果選択したものである。

(三) 同3のうち、松夫が昭和五五年一月一九日に死亡したことは認める。松夫は、前年の一二月から入院しており、その時点で被告は原告に対し、もし同人が死亡した場合には以後の事件処理については別人に委ね、被告は手を引きたいと申し出た。ところが、原告は、「続けてやってもらわなければ困る。ここまでやった以上は、続けるのが義務だ。」と強く主張したために、被告も継続して事務処理を続行することにしたのである。

(四) 同4のうち、原告が納付すべき相続税のうち、昭和四八年以降の分の一部が未納となった事実は認める。しかし、全く納付していなかったわけではない。また、昭和四八年以降、原告が被告らに不動産の所有権移転登記手続に必要な印鑑証明書や委任状を交付していた事実は認める。

(五) 同5、6、7は争う。

2  受任の経緯等

(一) 原告の亡父は、訴外甲野株式会社の代表取締役をしており、原告はその長男である。原告は被告の弟とは古くからの友人であり、それぞれの家も近かったために、原告と被告とは家族ぐるみの交際を続けていた。ところが、昭和四三年七月に原告の父親が死亡して相続の問題が発生したので、納税を含む法的な処理について被告の父親である乙山松夫弁護士が原告から相談を受け、受任したものである。受任の時期は、昭和四三年一〇月頃であった。その際、松夫は、着手金として五〇万円を原告から受領した。

原告の父親の相続人は、その妻と子供四人(原告と三人の姉)の計五人であり、協議のうえ、妻が目黒の自宅の土地建物を相続するほかは、すべて原告が相続し、三人の姉はいずれも相続を放棄することになった。

(二) 当初、松夫は、原告が相続した大阪市大正区の土地を物納する方針で望み、翌昭和四四年一月にその内容の申請書を日本橋税務署に提出した。しかし、物納の対象とした大阪の土地は、余りに細分化されているうえ、いずれも借地権が設定されている土地であったので、税務署から物納を拒否されてしまった。

そこで、松夫は、やむなく現金による納付に方針を変えたが、納税額が膨大であったために、一時に納付することは不可能で、一〇年間で分割納付する旨の申請をし、税務署の承認を得た。そこで、原告から依頼された納税事務に関する松夫の仕事は、大阪の土地をどのようにして売却し納税に充てるかということになった。

(三) 被告は、原告やその家族とも以前から親交があり、正式の事務員ではないものの、松夫の一般の受任事件の事務処理に従事していたこともあって、原告から依頼された業務についても、同人の指示のもとにこれを手伝うようになった。

松夫は、原告から土地を借りている借地人に底地を買い取ってもらうのがよいと考え、借地人と交渉を開始したが、現地大阪での調査・交渉のための交通費や宿泊費も相当な金額に上ったので、松夫及び被告は原告との合意に基づき、売買代金の中から実費として金員を受領していた。しかし、その計算方法等について厳密さを欠いていたため、それが今日の紛争の火種になったとの印象は否めない。

松夫と被告は、苦労して大阪の土地の売却交渉を進め、少しずつ売買を成立させては、その代金を原告の納税に充てていたが、次第に売却は難航するようになっていったのである。

3  原告の主張・立証内容の不備について

本件のように大規模な相続税等の納付事務を処理するために相当の事務処理費用が必要であることは、当然であり、原告も認めるところである。そして原告は、被告ないし松夫に支払うべき報酬としては、約五〇〇〇万円が相当である旨本人尋問で述べている。

本件の原告の請求は、いくつかの個別の金員(売買代金等)を挙げて、それぞれが着服であるとする構成をとっている。しかし、被告が着服したと原告が主張している個々の金員が本件に関する事務処理費用や報酬でないことを示す主張・立証はなされていない。

本件においては、原告と松夫または被告との間の合意によって、事務処理費用や報酬については、本件事務処理全体に関するものとして、個々の事務処理とは離れて計算・支払を行うという方法が取られたのである。そこで、このような計算方法のもとでは、仮に原告に返還すべき金員(Eとする。)があるとすれば、それは土地等の売却により獲得した総金額(Aとする。)から、被告らが事務処理に要した費用(Bとする。)、被告らの報酬金額(Cとする。)及び被告らが実際に納税した額(Dとする。)を差い引いた額ということになる。

(計算式) A-(B+C+D)=E

原告は、本人尋問において、Aが約三億八〇〇〇万円、Cが約五〇〇〇万円、Dが約一億円であると供述するが、その数字に客観的な裏付けがないうえ、Bは不明であるので、原告に返還すべき金額Eを算出することができない。

しかし、原告は、このようないわば総額計算方式を取らずに、個別に金員を挙げてそれを「着服」であると主張するのであるから、それらがすべて事務処理費用や報酬ではないということを原告が立証しない限り、この個別の金員について被告が原告に対して返還の義務を負うと認定することはできないというべきである。

4  原告が主張する個別の金員についての主張

(一) 原告の主張5(一)の(ア)から(オ)(山下三明外関係)について

これらの金員は、被告の父松夫弁護士が本件納税事務処理のための費用として、原告の了解のもとに受け取ったものである。したがって、原告に返還する義務はなく、着服という原告の主張は当たらない。この金員が被告名義の銀行の当座預金口座に入金されているのは、松夫の指示によって、原告の本件納税事務処理関係の銀行口座を被告名義としていたためである。そのことは、原告も承知していた。

(二) 同5(一)の(カ)(中村皓一関係)について

売買代金四三〇万円のうち、頭金に相当する二五〇万円とその他に売買成立の謝礼として受け取った一〇〇万円のうちの原告分五〇万円との合計額三〇〇万円は、松夫から原告本人に引渡し済みである。残りの割賦金一八〇万円は、松夫が受け取っているが、これは本件事件処理の費用として受領したものであるから、被告らがその返還義務を負うものではない。

(三) 同5(一)の(キ)(浜田誠一関係)について

売買代金二三九万七四〇〇万円のうち、一九四万円(頭金二〇〇万円から山本晃子への謝礼六万円を差し引いたもの)は、昭和五四年一二月に被告が原告から借り受けて、乙山法律事務所の経費等に充てたものである。

残金の四五万七四〇〇円も、同様に、翌昭和五五年三月に被告が原告から借り受けた。したがって、この件については原告に返還すべき義務のあることを認める。

(四) 同5(一)の(ク)及び6(松田スエ子関係)について

被告は、この売買手続(原告の主張5(一)の(ク))に関与しておらず、返還義務が生ずる余地がない。

差押え解除の費用の出捐に関する損害賠償の請求は、右の売買に被告が関与していない以上、そのことだけで既に失当である。また、租税債務については、もともと原告自身が支払義務を負っているのであるから、どこからか工面してこれを納付すべきは当然であり、これを損害というのはおかしい。仮に、原告の主張が事実で、被告が松田から受領した二七二万五八〇〇円を原告に渡さなかったとしても、法的には原告が被告に対しその二七二万五八〇〇円の引渡請求権を持つだけであるに過ぎない。この意味で、原告の主張は、それ自体失当である。

(五) 同5(一)の(ケ)から(サ)(大野耕一外関係)について

被告は、大野耕一、大川進、大川千賀子に対する土地の売却手続には関与していない。

(六) 同5(一)の(シ)から(セ)(浜田俊雄外関係)について

被告は、これらについて全く関与していない。

(七) 同5(二)の(ア)(青木良太郎外からの賃料関係)について

これらの金員は、本件事件処理の費用として原告の了解のもとに受領したものであるから、返還義務はない。

(八) 同5(二)の(イ)(中村弥吉からの更新料関係)について

被告がこの金員を中山から受け取ったことは事実だが、これはそのまま原告に引渡済みである。

(九) 同7(東越興業に対する担保設定関係)について

被告が東越興業との間で一七五〇万円の準消費貸借契約を結び、その際に原告が右債務の物上保証人になったことは事実だが、これは原告の了解を得たうえでのことであり、原告から非難されるいわれはない。

5  本件納税事務の資金の中から充当したものについて

本件事務処理によって第三者から得た金員を原告に引き渡す義務のないことを基礎付けるため、次のような事実のあったことを主張する。

(一) 伊豆の土地の購入代金

原告は、昭和五一年頃、静岡県伊東市の土地約二四〇坪を購入したが、その代金一二〇〇万円のうちの八〇〇万円は、被告が本件事務処理によって第三者から得た金員の中から支払った。

(二) 外車の売却代金

被告は、昭和五〇年頃、それまで所有していた外車を原告に譲ったが、その代金一五〇万円は、被告が本件事務処理によって得た金員の中から被告が受け取った。

(三) 結婚指輪の売却代金

原告は、結婚するに際して妻に一・四二カラットのダイヤモンドの結婚指輪を贈ったが、これは被告の所有物を原告に譲ったものである。その代金一五〇万円はやはり本件事務処理によって得た金員の中から被告が支払を受けた。

(四) 女性に対する手切れ金

原告は、結婚する際にそれまで交際していた女性との関係を断つ必要があり、昭和五二年七月、所有する土地を担保に富士銀行から一〇〇〇万円を借り入れ、これを手切れ金として女性に渡した。そして、昭和五三年一二月に右の借入金を弁済したが、その弁済金は、松夫ないしは被告から本件事務処理の結果として渡された金員を用いたものである。

第三証拠関係《省略》

理由

一  《証拠省略》によれば、松夫及び被告が原告から納税事務の委任を受けた経緯として、次の事実を認めることができる。

1  原告の父は、昭和四三年七月死亡し、原告はその多額の遺産を相続により承継した。

原告の父は、家業として甲野株式会社及び甲野興業株式会社を経営し、原告はいずれ家業を継ぐ予定であったが、当時は修行のため他の会社に勤めていた。しかし、原告の父の死亡により、急遽家業を継ぐことになった。

2  原告は、被告の弟と仲のよい学校時代の友人で、被告及び被告の父である松夫弁護士とも以前から親しくしていた。

原告は、右のとおり、急遽継いだ家業に忙殺されたことなどから、父の死亡に伴う相続税の納付事務を松夫弁護士に依頼した。

3  松夫は、右の依頼を受け、当初は原告の多額の相続税の納付方法として、大阪市大正区に所在する土地(いずれも借地権者のいる底地)を物納する方針で手続をとったが、税務署に拒否されてしまった。そこで松夫は、大阪市大正区の土地を売却し、その代金で一〇年間に渡って税金を分納する計画をたて、所要の申請をして税務署の許可を得た。このように、相続した土地を売却して、相続税を分納することとしたので、売却に伴って発生する譲渡所得税等の申告・納付の手続も松夫が担当することになった。このような分納手続を取ることとしたことにより、原告が一〇年間に分割納付する相続税は、本税、利子税併せて七五〇三万六四〇〇円ということになった。

原告も、このような事務処理方法を了解し、それに関する事務を松夫に委任した。

4  被告は、松夫の法律事務所の事務員ではなかったが、原告との関係もあって松夫の受任した原告の相続税の納付事務を手伝うようになった。そして、松夫が他の事件や健康状態の関係で大阪に頻繁に行くことができないことから、大阪市大正区内の土地の実際の売却の仕事は被告が行うようになり、売買代金も、被告名義で開設した第一勧業銀行日比谷支店の当座預金口座に送金してもらい、送金された金員は実質的に被告が管理していた。また被告は、松夫の統括のもとに、税務署との折衝、申告・納付事務などの実際の受任事務も行うようになった。

特に、松夫が死亡する前三年間位は(同人は、昭和五五年一月に死亡した。)、同人は健康状態が悪化し、しばしば入院をするようになったので、自然被告が原告からの受任事務全体を行うようになった。

5  原告は、松夫を信頼して上記の事務を一任し、細かい報告を求めるなどはしていなかった。昭和五〇年代に入って原告に税務署から督促状が来るようになり、松夫の法律事務所の事務員から被告らの事務処理について注意した方がよいとの忠告を受けたりしたが、原告は被告らを信用しきっていたので、重大な疑いを抱くに至らなかった。

6  しかし、松夫の死後、原告が被告に納税の進捗状況をただしたところ、被告は、相続税本税だけでも三〇〇〇万円を超える未納があり、利子税も八〇〇万円弱が未納であることなどを明らかにした。また、被告は、これらの税金を翌昭和五六年八月までに完納しないと、残っている土地を差し押さえられ公売されてしまうなどと説明した。そのうえで、被告は、大阪市内に残っている原告名義の土地のうち、たくさんある道路分をまとめて換金することを勧め、そのようなことに堪能な者を知っているのでその者に任せようなどと、引き続き従来の事務を被告に任せるように求めた。

原告は、本来相続税の納付はすべて終了していなければならないはずなのに、約半分が未納であるとの被告の説明にすっかり動揺し、冷静に判断する余裕もないまま、松夫に対し委任していたと同様の事務を被告に引き続き委任することにした。

二  以上の事実によれば、原告は、松夫の死後、既に松夫に代わって実質的に同人の受任事務を処理してきた被告に対し、従来と同様の事務を委任したものであり、これにより従来の原告と松夫との間の委任関係はすべて原告と被告との間の委任関係に承継されたものと認めるのが相当である。したがって、原告と松夫との間の債権債務は、すべて原告及び被告に承継されたものというべきである。

三  土地売買代金相当額の返還請求(原告の主張5(一))について

1  右の返還請求に関する立証責任について

(一)  被告は、この請求に関し、本件委任契約では事務処理費用や報酬については個々の事務処理とは離れて計算・支払を行うという方法が取られたのであるから、原告が個々の金員がすべて事務処理費用や報酬ではないということを立証しない限り、個々の金員について被告が返還義務を負うとすることはできないと主張する。

確かに、《証拠省略》によれば、事務処理費用や報酬は、基本的には、個々の事務ごとに計算するのではなく、一定の範囲の事務全体に対するものとして売却代金等の中から取得するという方法が取られたことが認められるから、この方法によれば、被告の主張するように、ある土地の売買代金は全額事務処理費用として被告らが取得できるということが起こりうる。

(二)  しかし、委任契約における受任者は、委任事務の処理状況を委任者に報告する義務を負っており(継続中は請求があったとき、委任終了後は請求を待たず遅滞なく。民法六四五条)、委任事務を処理するに当たって受け取った金員は、それが報酬(同法六四八条)または事務処理の費用(同法六四九条、六五〇条)として正当に取得できるものでない限り、受任者はこれを委任者に引き渡すことを要するのであるから(同法六四六条)、受任者は、委任事務処理に当たって受け取った金員が受任者において報酬または費用として正当に取得できるものであることを立証しない限り、返還すべき義務を免れないものというべきである。

(三)  したがって、本件においては、原告らが主張する金員が委任事務を処理するに当たって被告らが受け取ったものであれば、①委任事務全体の計算から、原告主張の金額を被告らが報酬または費用として取得することができるものであることが立証されるか、②原告の主張する個別の金員を、被告らが個別の合意その他の理由により報酬または費用として取得できるものであることが立証されない限り、被告はその返還義務を免れないものというべきである。

ところが、本件では右①の主張立証はないから、結局本件では、原告の主張する金員を個別に被告らが取得することができる理由があるかどうかを検討すべきこととなる。

2  原告の主張5(一)の(ア)から(オ)(山下三明外関係)について

これら五件の売買契約の売買代金を被告らが土地買受人らから受け取っていたことは、当事者間に争いがない。

被告は、これらの金員は松夫が原告の了解のもとに納税事務処理の費用として受け取ったと主張し、乙第一号証にはこれに沿う記述がある。

しかし、合計で一五〇〇万円余のこれらの売買代金を被告らが事務処理費用として受領することができる合理的根拠については何の主張立証もない。そして、これらの金員を被告らが受領していた時期には既にかなりの額の税金の滞納が始まっていたし(前一の5)、《証拠省略》によれば、被告らは各買主に対する所有権移転登記及び各土地に対する差押えの登記の抹消義務を果たしていなかったものと認められるから、このような状況下において一五〇〇万円もの巨額の金員を本来の委任の目的に使用しないで、事務処理費用に優先して充てるという合意が成立したとは到底考えられない。被告の主張は失当である。

3  原告の主張5(一)の(カ)(中村皓一関係)について

《証拠省略》によれば、松夫と中村皓一との間で、原告所有の東京都中央区日本橋堀留町一丁目四番三七宅地三〇・五四平方メートルについて代金を四三〇万円とする売買契約書が作成され、同契約書において、契約成立と同時に二五〇万円を、昭和五三年二月一〇日までに五〇万円を支払い、残金の一三〇万円は三三回に分割して支払う旨約束されたこと、中村はこの代金を約束どおり支払ったこと、ところが、中村は契約成立日である昭和五二年四月九日にこの外に一〇〇万円を松夫に支払い、これに対し松夫はそのうちの五〇万円について「土地売買成立の謝礼」の名目で領収書を発行していることが認められる。

被告は、昭和五二年四月九日の一〇〇万円は謝礼であり、そのうちの五〇万円は松夫個人に対する謝礼であるとするが、被告は売買代金四三〇万円の外にさらに五〇万円が委任事務に伴って受領した預り金であること自体は認めるのであるから、この五〇万円の性格についてこれ以上検討する必要はない。

ところで、被告は、三〇〇万円は原告に渡し、残りの一八〇万円は事務処理の費用として受領したと主張し、乙第一号証にはこれに沿う記述がある。しかし、既にかなりの額の税金を滞納している状況下において被告らが三〇〇万円を原告に渡したというのはにわかに信じがたいし、一八〇万円を事務処理費用として被告らが受領する合意が成立したとも考えられない。乙第一号証は採用できず、被告の主張は失当である。

4  原告の主張5(一)の(キ)(浜田誠一関係)について

乙第一号証は被告の主張に沿うものであるが、《証拠省略》に照らして採用できない。被告の主張は、失当である。

5  原告の主張5(一)の(ク)及び6(松田スエ子関係)について

(一)  《証拠省略》によれば、昭和五五年九月、被告は原告を代理して、松田スエ子との間で大阪市大正区泉尾五丁目五番一一宅地四一・一四平方メートルを売り渡す契約を結び、代金として合計二七二万五八〇〇円を受領したことを認めることができる。乙第一号証は、右の証拠に照らして採用できない。よって、被告は原告に右金員を返還する義務がある。

(二)  次に、原告は、被告が松田スエ子から受領した代金を、同人との約束に反して、売買の対象土地に対する差押登記を抹消するのに使用しないで着服したので、自ら用意した金員で右登記を抹消せざるを得なかったとして、その金員を請求する。

しかし、原告の右損害賠償請求は、被告が受領した売買代金を差押登記抹消に使用せず原告に返還もしなかったことを理由とするものであり、これを原告に返還させることにより原告が差押登記抹消に出捐した金員に関する損害は填補されるというべきであるから、原告の本件請求は理由がない。

6  原告の主張(一)の(ケ)から(サ)(大野耕一外関係)について

(一)  《証拠省略》を併せれば、被告は、塚井敬生らと意思を相通じたうえ共同して、原告を代理して、昭和五五年一〇月四日頃、大野耕一に対し大阪市大正区泉尾五丁目一番一六三宅地一四九・七六平方メートルを代金九〇六万円で、大川進に対し同所一番一六四宅地四〇・七九平方メートルを代金二四九万六〇〇〇円で、大川千賀子に対し同所一番一六五宅地二九・九四平方メートルを代金一七八万三六〇〇円でそれぞれ売り渡したこと、これらの代金は被告及び塚井が受領したことをいずれも認めることができる。この認定に反する乙第一号証及び被告本人尋問の結果は採用できない。したがって、被告は原告に対しこの売買代金合計一三三三万九六〇〇円を返還する義務がある。

(二)  《証拠省略》によれば、被告及び塚井は、本来大野千賀子の建物の敷地となっていて後に分筆されて大阪市大正区泉尾一番一六七宅地五〇・三二平方メートルとなった土地を、同所一番一六五の土地と共に同人に買い取るように求めたが、同人が測量の過誤に関連してその買取りを拒否したため、浜田俊雄にこの土地を担保の趣旨で所有権移転登記をし(ただし、所有権移転登記は、浜田が買い取った部分と合わせて、同所一番三宅地三六四・七〇平方メートルとしてなされた。)、三〇〇万円を浜田から借り入れたことを認めることができる。被告は、原告からこれらの土地を売却して納税資金を作ることを委任されていたのであるから、その土地を担保に借り入れた金員は、被告が委任事務を処理するに当たって受け取った金員ということができ、被告は原告に対しこの金員を返還する義務がある。

7  原告の主張5(一)の(シ)(浜田俊雄関係)について

《証拠省略》によれば、被告は、昭和五六年四月頃、原告を代理して、浜田俊雄に対し原告所有の大阪市大正区泉尾一番三宅地三六四・七〇平方メートルのうち三一四・三七平方メートル(後に同所一番一六七として分筆され浜田から大野千賀子に所有権移転登記された部分を除いた土地)を代金一四〇〇万円で売り渡し、代金一四〇〇万円を受領したことを認めることができる。

したがって、被告は原告にこの金員を返遷する義務がある。

8  原告の主張5(一)の(ス)(セ)(大下昇外関係)について

《証拠省略》によれば、被告は、昭和五五年一一月一七日、原告を代理して、大下昇に対し原告所有の大阪市大正区泉尾北村町二丁目九〇番二四宅地五七・八五平方メートルを代金四〇五万円で売り渡し、代金四〇五万円を受領したこと、また同日、林田俊一に対し原告所有の同所九〇番二二宅地五六・六九平方メートルを売り渡し、代金四〇〇万円を受領したこと、以上の事実を認めることができる。

したがって、被告は原告に右代金を返還する義務がある。

四  土地の賃料・更新料の返還請求(原告の主張5の(二))について

1  賃料について

原告の主張5(二)の(ア)の賃料合計三七八万〇八九一円を、被告らが委任事務の処理に当たって受領していたことは、争いがない。

被告は、この金員は原告の了解のもとに事務処理の費用として受領していたと主張し、乙第一号証はこれに沿うものである。しかし、乙第一号証は採用できない。

したがって、被告は原告に対し右金員を返還する義務がある。

2  更新料について

被告らが原告所有土地の賃借人中山弥吉から更新料二三〇万円を受領したことは、争いがない。被告は、これを原告に渡したと主張し、乙第一号証にはそれに沿う記載がある。

しかし、被告が同金員を原告に渡したと主張する時期は、昭和五一年、五二年であって、既に納税の多額の滞納が発生していた時期であるから、納税に関する事務を委任された被告らが納税資金とし得る金員を原告に渡したというのは、にわかに信じがたい。被告の主張は、理由がない。したがって、被告は原告に対し、右金員を返還する義務がある。

五  和解金等の損害賠償請求について

被告は、原告所有の東京都中央区日本橋蛎殻町二丁目一〇番一三宅地一五二・一三平方メートル外三筆に抵当権設定登記をしたのは原告の了解を得たうえでのことであると主張し、乙第一号証はこれに符合するものである。しかし、乙第一号証は、《証拠省略》に照らして採用することができない。したがって、被告の行為は受任者の義務に違反する行為であり、原告が東越興業に対し右金員を支払うべき債務を負っていたとも認められないから(この点、乙第一号証は採用できない。)、被告は、原告が右抵当権設定登記を抹消するについて出捐した和解金及び訴訟費用合計八八四万五六〇〇円につき、同額を損害賠償として原告に支払う義務があるというべきである。

六  結び

以上のとおり、原告の請求は、原告の主張6記載の差押え解除費用の出捐に関する損害賠償請求は理由がないが、その他はすべて理由がある。したがって、右の限度で原告の請求を認容し、右損害賠償請求を棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を適用し、仮執行宣言について同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岩田好二)

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